敷地が不整形で、見取り図を書くと楽器のチェンバロに見えることから
「ボルゲーゼのチェンバロ」の異名がある。
現在はスペイン大使館や狩猟協会などが入っている。
ヴェネツィアのF氏によると、支倉常長の肖像画がここに所蔵されているらしい。Palazzo Colonna
コロンナ宮 (Via della Pilotta, 4) 18世紀
1200年代からこの一角に居を置いていたコロンナ家が14世紀に着工し、
16世紀に同家出身のローマ法王マルティヌス5世が、
自らの家族を住まわせようと、バロック様式の見事な宮殿を完成させた。
8世紀にわたり何度か改築されている。
17世紀後半にジローラモ・コロンナの収集した絵画が展示されている。
大広間は映画『ローマの休日』のラストシーン、
アン王女の記者会見の間として使われた。
天井画は1571年のレパントの海戦で教皇庁艦隊司令官を務めた
マルカントニオ・コロンナ2世をたたえるフレスコ画で飾られている。
また、広間の階段部分には、
1849年のフランス軍の包囲の際に飛んできた榴弾が今も残っている。
この広間をはじめ、いくつかの部屋が
コロンナ美術館として土曜日のみ一般開放されており、
カラッチの『豆を食べる男』などの名作を観ることができる。Palazzo Massimo alle Colonne
マッシモ・アッレ・コロンネ宮 (Corso Vittorio Emanuele II, 141) 16世紀
紀元前3世紀にカルタゴのハンニバルと戦いローマを勝利に導いた
ファビウス・マクシムスを先祖に持つローマの有力貴族マッシモ家の館。
1527年のローマ劫掠で焼き討ちされ、
その後、バルダッサッレ・ペルッツィが道の反対側に建てたのがこの屋敷である。
ドミティアヌス帝の音楽堂の一部を利用しているため、正面は緩い曲線を描いている。
6本のドーリス式の円柱は古代ローマ建築によく見られるアトリウムを思わせ、
柱廊はイロニア式円柱である。
このことからマッシモ家(Massimo)の柱の(alle Colonne)宮殿と呼ばれる。
3月16日がマッシモ家で起きた聖フィリッポ・ネーリの奇跡の日であることから、
毎年その日には一般公開されている。
Palazzo Antonelli già Capponi Dall’Olio
アントネッリ(旧カッポーニ・ダッローリオ)宮 (Via di Monserrato, 34) 16世紀
もともとはカッポーニ家が住まいとしていたところで、
そのあとボローニャのカザーリ家、ダッローリオ家の手に渡り、
現在のアントネッリ家の所有となる。
中世、監獄があった通りに面したこの屋敷は、
中庭が大理石の円柱で囲まれ、
トラバーチン製の窓や1500年代風の装飾がとても美しい。
ごく普通の住宅としても使われており、
洗濯物が干されているなど、実に生活感の溢れる屋敷だった。
Palazzo Falconieri
ファルコニエーリ宮 (Via Giulia, 1) 17世紀
塩の専売で一旗上げたフィレンツェ出身のファルコニエーリ家が
1638年にファルネーゼ家より購入し、
ボッロミーニが修築を手がけた。
建物は拡張され、両側2つのバロック式彫像の上には
女性の胸像とファルコニエーリ家の紋であるハヤブサが載っている。
テヴェレ川に面した中庭も見事。
現在はハンガリー政府の所有で、ハンガリー文化会館となっている。
Palazzo Sforza Cesarini
スフォルツァ・チェザリーニ宮 (Corso Vittorio Emanuele II, 282) 15世紀
1460年頃、ロドリーゴ・ボルジアの命で造られた宮殿。
愛人ヴァノッツァの定食屋も目と鼻の先にあった。
2人の間の息子、チェーザレ様もここに住んでいた…。
次期ローマ法王選出会議での賄賂として1492年、
枢機卿アスカニオ・スフォルツァにこの建物を譲り、
ロドリーゴはローマ法王アレクサンデル6世となる。
法王庁の造幣局や尚書院が置かれていたこともあった。
チェザリーニ家との姻戚関係によってスフォルツァ・チェザリーニ宮と呼ばれるようになり、
二十数年前まで実際にスフォルツァ家が居住していたという。Palazzo Taverna
タヴェルナ宮 (Via di Monte Giordano, 36) 15世紀
ナヴォーナ広場近くのこの高台は、
12世紀頃から貴族に好まれて屋敷として利用されてきた。
5世紀もの間にわたってオルシーニ家が所有していたこともある。
1500年代中期に、シエナから招聘された画家で建築家の
バルダッサッレ・ペルッツィが、ファザードなどの修築を任された。
古代ローマ水道の一つ、ヴィルゴ水道の水をたたえ、
高い木々に囲まれた大きな噴水が目を引く。
これはフェリーチェ・アントニオ・カソーニの1618年の作。
入って右手にあるアウグスタの塔は1880年のもの。
こちらの屋敷内のルネサンス様式の広間と中庭を利用して
パーティーができる。
一方、入って左側が最も古くルネッサンス時代のもので、
1400年代風の質素な中庭と建物。
19世紀後半に持ち主となったのがミラノのタヴェルナ伯爵なので、
タヴェルナ宮と呼ばれている。
Palazzo Emo Capodilista già Mazzei
エモ・カポディリスタ(旧マッツェイ)宮 (Via Vecchiarelli, 38) 16世紀
ローマ法王グレゴリウス13世の書記官マリアーノ・ヴェッキアレッリの屋敷。
小さな四角い中庭があり、つたの絡まるドーリス式の円柱と
ライオンの口から水の湧き出る小さな噴水がある。
この近くのコロナーリ通りはヴァチカンへの巡礼者が買うロザリオや
数珠(コローナ)などの宗教グッズを売る店が並んでいたことからこの名前が付いた。
最後のコローナ商人が住んでいたのはこの屋敷だったそうだ。
Palazzo Malvezzi Campeggi
マルヴェッツィ・カンペッジ宮 (Via del Consolato, 6) 15世紀
15世紀にローマで発達した道路計画、三叉路の一角に立てられた屋敷。
この周辺はバンキ(銀行)地区と言われており、
ヴァチカンとローマ中心地区を結ぶ地区であったので、重要とされ、
多くの銀行があったと思われる。
Palazzo Sacchetti
サッケッティ宮 (Via Giulia, 66) 16世紀
枢機卿リッチ・ディ・モンテプルチャーノが、
ナンニ・ディ・バッチョ・ビージョに建てさせた邸館。
建築家アントニオ・ダ・サンガッロの旧宅に建ち、
16世紀にローマへ移り住んだフィレンツェのサッケッティ家が17世紀に取得した。
ファザードは装飾のある窓で飾られ、
中央扉口は中庭と小さな庭に面して開いている。
テヴェレ川に面した庭が素晴らしい。
あじさいの中で談笑する男子3名が真正面に座る…。
大広間と地球儀の間には、フランチェスコ・サルヴィアーティが
1553年頃描いたダヴィデ伝のフレスコ画がある。
これらの2間を貸し出して200人までのパーティーが可能。
結婚式ここでやりたい…。いつ誰と?(2011年5月29日)