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ローマの屋敷

ローマの屋敷について語る PARLO DEI PALAZZI ROMANI

Palazzo Massimo Colonna
マッシモ・コロンナ宮 (Piazza dell'Aracoeli, 1) 17世紀
11世紀頃からローマの有力貴族として名高かったボッカベッラ家の宮殿として完成したこの建物は、
18世紀に入ってマッシモ家(これまたローマの有力貴族)の手に渡った。
このマリオ・マッシモという人物は天文学者兼数学者で、
リンチェイ・アカデミーの学長や労働省大臣などを歴任した。
彼の孫のマリアがローマ市長にもなったコロンナ卿と結婚したため、
マッシモ・コロンナ宮と呼ばれている。
現在もコロンナ家の所有で、シリア大使館が入っている。
ベルニーニ風の、貝殻を持ったトリトンの噴水が中央にあり、
上からうずくまった2匹のライオンが水を吐き出している。
MASSIMOCOLONNA1

Palazzo Odescalchi già Maccarani
オデスカルキ(旧マッカラーニ)宮 (Piazza Margana, 19) 17世紀
ODESCALCHI4
16世紀初期にミラノ出身のマッカラーニ家のために造られたとされているが、
17世紀半ばにはオデスカルキ家の手に渡る。
ODESCALCHI2
説明を読む友人73ちゃんと、なぜかペアルックの通りすがりのオバさん。
中庭にはオデスカルキ家の紋章の入った噴水がある。
ODESCALCHI1
古代ローマ時代の石棺や石碑が捨て置かれており、
鉢植えとして使われているのが微笑ましい。
ODESCALCHI3
この屋敷のあるマルガーナ広場は15~16世紀の建物に囲まれており、
MARGANA1
広場の40番地には中世のマルガーニ家の塔が残っている。
MARGANA2

Palazzo Pasolini dall’Onda già Santacroce
パゾリーニ・デッロンダ(旧サンタクローチェ)宮 (Piazza B. Cairoli, 6) 17世紀
ジェンティーレ・ヴィルジーニ・オルシーニのもとで指揮官だった
ジョルジョ・サンタクローチェの屋敷であったとされている。
SANTACROCE1
小道を挟んだ向こうには使用人の建物があり、
その中庭の、貝から生まれるヴィーナスの噴水(1700年代)が圧巻。
SANTACROCE2
建物内には在伊ラテン・アメリカ協会本部がある。

Palazzo Altieri
アルティエリ宮 (Piazza del Gesù, 49) 17世紀
1300年代初頭からアルティエリ家の所有。
17世紀にローマ法王クレメンス10世を輩出している一家である。
この時期にジョヴァンニ・アントニオ・デ・ロッシが建築を手がけ、
ローマでは最高級の宮殿とされていた。
ALTIERI
建物内にはベルニーニの彫像『クレメンス10世』と
カルロ・マラッティの天井フレスコ画がある(非公開)。
建物をジェズ広場から見ると、右側だけずれている。
これはこの宮殿を造る際に、
クレメンス10世の立ち退き要求に一切応じなかった
老婆ベルタの家の名残と言われている。
現在でもアルティエリ家が住んでいる他、いくつかの銀行が入っている。
名女優アンナ・マニャーニがここに住んでいたそうだ。
また、かつて日本大使館も入っていた。

Palazzo Berardi
ベラルディ宮 (Via del Gesù, 62) 16世紀
ジャコモ・デッラ・ポルタがムーティ家の命で、
フレスコ画の美しいファザードを持つこの建物を造った。
1700年代にチェージ家、
そして1800年代にフィリッポ・ベラルディ侯爵のものとなっている。
入り口の柵には「フィリッポ・ベラルディ」という文字が彫られている。
1870年には、近所の修道院のジョヴァンバッティスタ・エンブリアコ神父により、
噴水に大きな時計が設置された。
BERARDI

Palazzo Doria Pamphilj
ドーリア・パンフィーリ宮 (Via del Corso, 305) 16世紀
元の建物は14世紀中期から存在していた。
16世紀にローマ法王ユリウス2世の甥が入手し、
1601年クレメンス8世の甥、ピエトロ・アルドブランディーニが買い取った。
1647年にはインノケンティウス10世の甥、カミッロ・パンフィーリが
オリンピア・アルドブランディーニと結婚したことから相続、
アントニオ・デル・グランデにコレッジョ・ロマーノ広場に面した棟を
L字型の4階建てに改築させている。
DORIAPAMPHILJ2
17世紀に入り、アンナ・パンフィーリが
ジェノヴァの貴族ジョヴァンニ・バッティスタ・ドーリア・ランディと結婚したので、
ドーリア・パンフィーリ宮殿と呼ばれている。
その後、カルロ・フォンターナも建築に携わった。
アンナとジョヴァンニ・バッティスタの子供カミッロの時代に、
ガブリエレ・ヴァルヴァッソーリがコルソ通りのファザードを建て、
中庭に面した1階のアーケードの窓を塞いでギャラリーにしてしまうなど、大胆な修築をする。
DORIAPAMPHILJ
今もドーリア・パンフィーリ家の所有で、絵画館として一部が開放されており、
ヴェラスケスの『インノケンティウス10世の肖像』やカラヴァッジョの『脱エジプト』などが観られる。
DORIAPAMPHILJ1

Palazzo Borghese
ボルゲーゼ宮 (Piazza Fontanella Borghese, 19) 17世紀
1560年、ポッジョ家がトンマーソ・デル・ジリオに売り渡し、
彼の死の頃にできた屋敷と言われている。
1604年枢機卿カミッロ・ボルゲーゼ(のちのローマ法王パウルス5世)が
一族の居館として取得し、
フラミニオ・ポンツィオとカルロ・マデルノを起用して建築を完成させた。
BORGHESE6
ミケランジェロのファルネーゼ宮殿の中庭建設案の影響が見られる。
1670年頃にカルロ・ライナルディが、
広場側ファザードの再建と庭園の設計をやり直す大掛かりな改修を行った。
BORGHESE5
中庭には花崗岩の100本の円柱が立っており、
BORGHESE1
劇場型の庭園は噴水の女神の彫刻がとても素晴らしい。
BORGHESE4
ここにも古代ローマの石棺があって、中を覗くと掃除用具が…。
BORGHESE2
敷地が不整形で、見取り図を書くと楽器のチェンバロに見えることから
「ボルゲーゼのチェンバロ」の異名がある。
BORGHESE3
現在はスペイン大使館や狩猟協会などが入っている。
ヴェネツィアのF氏によると、支倉常長の肖像画がここに所蔵されているらしい。

Palazzo Colonna
コロンナ宮 (Via della Pilotta, 4) 18世紀
1200年代からこの一角に居を置いていたコロンナ家が14世紀に着工し、
16世紀に同家出身のローマ法王マルティヌス5世が、
自らの家族を住まわせようと、バロック様式の見事な宮殿を完成させた。
COLONNA
8世紀にわたり何度か改築されている。
17世紀後半にジローラモ・コロンナの収集した絵画が展示されている。
大広間は映画『ローマの休日』のラストシーン、
アン王女の記者会見の間として使われた。

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天井画は1571年のレパントの海戦で教皇庁艦隊司令官を務めた
マルカントニオ・コロンナ2世をたたえるフレスコ画で飾られている。
また、広間の階段部分には、
1849年のフランス軍の包囲の際に飛んできた榴弾が今も残っている。
この広間をはじめ、いくつかの部屋が
コロンナ美術館として土曜日のみ一般開放されており、
カラッチの『豆を食べる男』などの名作を観ることができる。

Palazzo Massimo alle Colonne
マッシモ・アッレ・コロンネ宮 (Corso Vittorio Emanuele II, 141) 16世紀
紀元前3世紀にカルタゴのハンニバルと戦いローマを勝利に導いた
ファビウス・マクシムスを先祖に持つローマの有力貴族マッシモ家の館。
MASSIMOALLECOLONNE
1527年のローマ劫掠で焼き討ちされ、
その後、バルダッサッレ・ペルッツィが道の反対側に建てたのがこの屋敷である。
ドミティアヌス帝の音楽堂の一部を利用しているため、正面は緩い曲線を描いている。
6本のドーリス式の円柱は古代ローマ建築によく見られるアトリウムを思わせ、
柱廊はイロニア式円柱である。
MASSIMOALLECOLONNE2
このことからマッシモ家(Massimo)の柱の(alle Colonne)宮殿と呼ばれる。
3月16日がマッシモ家で起きた聖フィリッポ・ネーリの奇跡の日であることから、
毎年その日には一般公開されている。

Palazzo Antonelli già Capponi Dall’Olio
アントネッリ(旧カッポーニ・ダッローリオ)宮 (Via di Monserrato, 34) 16世紀
もともとはカッポーニ家が住まいとしていたところで、
そのあとボローニャのカザーリ家、ダッローリオ家の手に渡り、
現在のアントネッリ家の所有となる。
ANTONELLI
中世、監獄があった通りに面したこの屋敷は、
中庭が大理石の円柱で囲まれ、
ANTONELLI5
トラバーチン製の窓や1500年代風の装飾がとても美しい。
ANTONELLI2
ごく普通の住宅としても使われており、
洗濯物が干されているなど、実に生活感の溢れる屋敷だった。
ANTONELLI3
ANTONELLI4

Palazzo Falconieri
ファルコニエーリ宮 (Via Giulia, 1) 17世紀
塩の専売で一旗上げたフィレンツェ出身のファルコニエーリ家が
1638年にファルネーゼ家より購入し、
ボッロミーニが修築を手がけた。
FALCONIERI
FALCONIERI2
建物は拡張され、両側2つのバロック式彫像の上には
女性の胸像とファルコニエーリ家の紋であるハヤブサが載っている。
テヴェレ川に面した中庭も見事。
現在はハンガリー政府の所有で、ハンガリー文化会館となっている。

Palazzo Sforza Cesarini
スフォルツァ・チェザリーニ宮 (Corso Vittorio Emanuele II, 282) 15世紀
1460年頃、ロドリーゴ・ボルジアの命で造られた宮殿。
SFORZACESARINI
愛人ヴァノッツァの定食屋も目と鼻の先にあった。
2人の間の息子、チェーザレ様もここに住んでいた…。

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次期ローマ法王選出会議での賄賂として1492年、
枢機卿アスカニオ・スフォルツァにこの建物を譲り、
ロドリーゴはローマ法王アレクサンデル6世となる。
法王庁の造幣局や尚書院が置かれていたこともあった。
チェザリーニ家との姻戚関係によってスフォルツァ・チェザリーニ宮と呼ばれるようになり、
二十数年前まで実際にスフォルツァ家が居住していたという。

Palazzo Taverna
タヴェルナ宮 (Via di Monte Giordano, 36) 15世紀
ナヴォーナ広場近くのこの高台は、
12世紀頃から貴族に好まれて屋敷として利用されてきた。
TAVERNA3
5世紀もの間にわたってオルシーニ家が所有していたこともある。
1500年代中期に、シエナから招聘された画家で建築家の
バルダッサッレ・ペルッツィが、ファザードなどの修築を任された。
古代ローマ水道の一つ、ヴィルゴ水道の水をたたえ、
高い木々に囲まれた大きな噴水が目を引く。
これはフェリーチェ・アントニオ・カソーニの1618年の作。
TAVERNA
入って右手にあるアウグスタの塔は1880年のもの。
TAVERNA2
こちらの屋敷内のルネサンス様式の広間と中庭を利用して
パーティーができる
一方、入って左側が最も古くルネッサンス時代のもので、
1400年代風の質素な中庭と建物。
19世紀後半に持ち主となったのがミラノのタヴェルナ伯爵なので、
タヴェルナ宮と呼ばれている。

Palazzo Emo Capodilista già Mazzei
エモ・カポディリスタ(旧マッツェイ)宮 (Via Vecchiarelli, 38) 16世紀
ローマ法王グレゴリウス13世の書記官マリアーノ・ヴェッキアレッリの屋敷。
小さな四角い中庭があり、つたの絡まるドーリス式の円柱と
ライオンの口から水の湧き出る小さな噴水がある。
EMOCAPODILISTA
この近くのコロナーリ通りはヴァチカンへの巡礼者が買うロザリオや
数珠(コローナ)などの宗教グッズを売る店が並んでいたことからこの名前が付いた。
最後のコローナ商人が住んでいたのはこの屋敷だったそうだ。
EMOCAPODILISTA2

Palazzo Malvezzi Campeggi
マルヴェッツィ・カンペッジ宮 (Via del Consolato, 6) 15世紀
MALVEZZI2
15世紀にローマで発達した道路計画、三叉路の一角に立てられた屋敷。
MALVEZZI
この周辺はバンキ(銀行)地区と言われており、
ヴァチカンとローマ中心地区を結ぶ地区であったので、重要とされ、
多くの銀行があったと思われる。

Palazzo Sacchetti
サッケッティ宮 (Via Giulia, 66) 16世紀
枢機卿リッチ・ディ・モンテプルチャーノが、
ナンニ・ディ・バッチョ・ビージョに建てさせた邸館。
建築家アントニオ・ダ・サンガッロの旧宅に建ち、
16世紀にローマへ移り住んだフィレンツェのサッケッティ家が17世紀に取得した。
ファザードは装飾のある窓で飾られ、
中央扉口は中庭と小さな庭に面して開いている。
テヴェレ川に面した庭が素晴らしい。
SACCHETTI2
あじさいの中で談笑する男子3名が真正面に座る…。
SACCHETTI4
SACCHETTI5
大広間と地球儀の間には、フランチェスコ・サルヴィアーティが
1553年頃描いたダヴィデ伝のフレスコ画がある。
これらの2間を貸し出して200人までのパーティーが可能
結婚式ここでやりたい…。いつ誰と?

(2011年5月29日)

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